一切の行為の功果を有するものは
唯 私欲を離れし根本より生ずる
お釈迦様の言葉
私はこの言葉を十代のときから知っているが、久しい間、この言葉の持つ真の意味を知らなかった。それが、数年前にようやくにして、この言葉の意味を悟った。私は全財産を投げ出して、三島財団を設立した。
三島 海雲
出典 初恋五十年、長寿の日常記
関東大震災のときである。東京の下町一帯は見るも無残な焼け野原と化した。
とりわけ水道の水が止まり、増上寺の池の水で米をといでいるという報告に胸をつかれた。疫病でもはやったら大変なことになる。私は即座に飲料水を配ろうと思い立った。そして次の瞬間、どうせ水を配るなら、それにカルピスを入れて人々を慰めようと決意した。 私は工場にあったビア樽十数本に入っているカルピスの原液を全部出させ、金庫の有り金二千余円を全部出して、この費用に充てた。翌二日から、私自身もトラックに乗って被災地を回り、原液がなくなるまで配り続けた。震災後の数日は焼けつくような暑さだったから、私のトラック隊は、行く先々の避難所で大歓迎を受け、感謝された。 大阪毎日の記者が、震災第一報で私のトラック隊のことを取り上げた。このとき、私には宣伝しようなどという気持ちはミジンもなかった。困っている人を助ける、という人間としての衝動からである。しかし結果としてカルピスは全国に知られることになった。 震災後20年もたってから、ある催しをしたときに、「私はカルピスのことなら、喜んでどんなことでも協力いたしましょう。それは、震災のときに、上野でもらった一ぱいのカルピスのうまさが忘れられないからです。」といってくれた人がいた。私はこれを聞いたときに、思わず涙があふれた。「すべての行為の効果を有するものは、私欲を離れたる根から生ずるものなり」(すべての欲をはなれてやったことが世の中に良い結果をもたらす)という言葉の意味は、今にして思えば、震災の時の行為がこれに当たる。
出典 初恋五十年、長寿の日常記
大正十二年九月六日夕刊
暗の中からヌッと出る
戒厳令下の東京の夜
私達は二日午後八時頃水上飛行機で品川まで来たもののどこへ着水していいか判らない。沈着な阿部飛行士は低い旋回飛行を試みながらしきりに四辺を物色していたがやっとのことで、一隻の艀を見付け大声で助けを呼んだ、(中略)
所々に白い蒲団綿の端だけ焦げたのが転がっているほかは、瓦だか石だか何だか形のわかるものは一つもない、増上寺へさしかかると大きな荷物自動車がとまって十数人の男が手に手に柄杓で白い濁水を汲んでは避難民のバケツや薬缶にどんどんつぎこんでいる。あんな汚い水でも飲まねばならないのかと思ったが実は私たちも飲みたかった、よく見るとその車には「カルピス」とした小旗がたくさん翻っている、広告にしても関心なことだ。(後略)
出典 大阪毎日新聞
学術の競争、知力の競争の世界である。
これからの世界は、学術の競争、知力の競争の世界である。知力の競争とは、すなわち、立派な学者をつくることである。
三島海雲 財団設立に際して
出典 三島海雲記念財団 五十年史
それを支える”良識”すなわち人文科学を含むとする。
自然科学の重要性は勿論大いに認めるところであるが、自然科学といえどもその根底には矢張り人は如何に生きるべきかの哲学が充分に認識されて居らねばならぬ。
三島海雲 財団設立に際して
出典 三島海雲記念財団 五十年史、第一回贈呈式挨拶
本財団の基本金は極めて僅少である。しかし創立者三島海雲の現有全財産を注入したものである。その狙うところは、私欲を忘れて公益に資する大乗精神の普及に在る。広野に播かれた一粒の麦になりたいのである。
三島 海雲
出典 三島海雲記念財団 設立趣意書
出典
- 初恋五十年 ダイヤモンド社
- 長寿の日常記 三島海雲著 日本経済新聞社
- 大阪毎日新聞 国立国会図書館所蔵
- 五十年の歩み 公益財団法人三島海雲記念財団
編集
- 公益財団法人 三島海雲記念財団