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設立の経緯・設立趣意書

設立の経緯

創立者三島雲海

三島海雲記念財団は、カルピス株式会社の創業者である三島海雲が私財を投じて昭和37年12月24日に設立されました。
平成22年12月22日に内閣総理大臣より公益財団法人に認定され、平成23年1月4日に公益財団法人三島海雲記念財団として新たにスタートいたしました。

三島海雲は、85歳を超えたある日、『自分が今日あるのは、自分個人の力ではなく、先輩、友人・知己、そして国民大衆の「カルピス」に対する絶大な支援によるものであり、自分はこれに報いなければならない』との思いに至りました。
そして、三島海雲は『その恩に報いる最もよい方法は、日本発展の原動力となる知力(よい学者)を育てることである。すなわち学者の立派な研究と発明を援助することである。その研究の成果は必ずや人類の福利に役立つに違いない』と考え、全私財を投じて財団を設立することを決意しました。
三島海雲記念財団の特色は、自然科学のみでなく、それを支える良識、すなわち人文科学を対象としているところにあります。

設立趣意書

  1. 自然科学特に食料品の研究と人文科学の研究を助成する事
  2. 上記の研究結果を応用して人類の福祉に寄与する事

本財団の基本金は極めて僅少である。
しかし創立者三島海雲の現有全財産を注入したものである。
その狙うところは、私欲を忘れて公益に資する大乗精神の普及に在る。広野に播かれた一粒の麦になりたいのである。

昭和37年7月7日
設立発起人代表 三島海雲

設立者の設立の趣意は前記のとおりであるが、下名らの立場に於いて少しくこれを敷衍しておきたい。

 三島海雲氏は、明治11年7月2日、大阪府下萱野村の教学寺という真宗の貧しい寺に生まれた。長じて京都西本願寺文学寮に学び、卒業後ただちに、英語教師として、山口の開導教校に赴任したが、教師はその希うところでなく、やがて風雲に乗じて北京に渡った。
 時は日露戦役の直前であった。で、開戦後は蒙古に入り、側面から日本軍の行動に協力した。かくて、終戦後も蒙古に止まり、日清両国の経済提携を旗幟として、緬羊の牧畜を企画し、着々これを実行に進めた。然るに清国は、三島氏のこの挙を目して、日支条約に違反するものとなし、却って之を買収するの挙に出た。
 やんぬるかな、三島氏は涙をのんで帰国した。が同時に、かねて着目した蒙古の酸乳の改良に踏みきった。そこには名伏しがたい困難があった。苦杯また苦杯、それを忍びながら、大正6年ついに、その嗜好飲料化に成功した。カルピスの誕生である。
 まことに、カルピスの成功は、三島海雲氏の世界観の勝利であり、それに発する信念の凱歌である。
 孔子の世界観は「一以て之を貫く」という信念に結晶しているが、これは如何にも明治の人らしく、「お国のため」という国士的な裏づけが感じとられる。
 光栄ある日本の建設は、自然科学と人文科学の研究普及を焦眉の急務とする。従って、その機関や研究者に対する援助が喫緊の要請となる。
 この要請に応えるため、三島氏はその私財を投じて、些かでも日本国繁栄の礎石になろうと決意し、それが三島海雲記念財団の設立となった。
 本財団がその活動により、わが国学術文化の向上、国民生活の充実に一燈を寄与しうるならば、設立者の本懐は達せられる。

昭和37年7月7日
財団法人 三島海雲記念財団
設立発起人 山田 三良
同 天野 貞祐
同 栗田 淳一
同 川西 実三
同 坂口 謹一郎
同 中山 仙造
同 吉川 幸次郎
同 向井 忠晴
同 中道 健太郎